世界からもし
このブログやろうと思ったのはこれを書きたかったから。
私の昨日の授業。まだ消化しきれていない。話すことで消化できると聞いたから、書く。
月曜日の3限、私は「死生観とソーシャルワーク」という授業をうけている。死について考えさせられるなかなか心にくる授業だ。
今日の授業内容は、「死にゆく過程の疑似体験」。
好きな活動、大切なもの、大切な人、目標をそれぞれ3個、カードに書く
そして、自分が白血病になったと仮定して、
①発病・告知段階
②闘病段階
③主体喪失段階
④恐怖・あきらめ段階
⑤末期段階
⑥臨終段階
の6つの段階でそれぞれ2枚ずつカードを選び、裏にさようならと書いて破り捨てる
これが大体の内容。
さようならと書いて破り捨てる時はそのカードに書いたものや人との思い出が蘇ってくる。そして破り終わると本当に無くしてしまったかのように心に穴が空いた。
私は4枚のカードにトランペットのことを書いた。そして、さようならと書いて破り捨てた。
そのさようならと書いて破り捨てる時だ。私は「私」が否定されるような感覚がした。今までの思い出から希望まで、全てを失ったようだった。心に穴が空いたとかそういうレベルじゃない。自分自身が引き裂かれたような感覚だ。トランペットのカードがなくなった時、この後はどうでもいいと一瞬本気で思った。
私の半分以上はトランペットでできているのかもしれない。当たり前だよな、10年以上一緒にいるのだから。
そこで考えた。
『世界からもしトランペットが消えたなら』
世界からもしトランペットが消えても、大抵の人は困らないだろう。まあ、クラシックに華は無くなるかもしれないが。日常生活で困ることはない。
でも、私は困る。人生の半分以上の意味を失う。トランペットでたくさんの人と繋がり、トランペットを吹くことを楽しみにし、トランペットのことを毎日考え、悲しいことも嬉しいこともトランペットのことばかりな私は、世界からトランペットがなくなったら、何を頼りに人と繋がり、何を楽しみに生きるのだろう、何を毎日考えて、感情は何に支配されるのだろう。考えても思いつかない。
あたりまえだよな、だって世界から実際に消えることはないし。
でも、確実に言えるのは、トランペットがなくなったら私の世界から色は無くなる。多分、3色くらいになるんじゃないかな、そして決して混ざり合わない。3色がただあるだけ。
トランペットがあることで私は何色もの色と出会え、その色たちが混ざり合い汚い色も綺麗な色も見せてくれる。
トランペットってすごい。やめたくなる時はたくさんあるが絶対にやめられない。
世界からもしトランペットが消えたなら、
世界から色がなくなり
私は世界が嫌になるだろう
これが結論。
以上
ちなみに、死にゆく過程で最後まで残ったのは母と父であった。「私」を作ってくれた最初のものだ。はじめは嫌いだけど、はじめがなくちゃ何もできない。そして最後はそのはじめに行き着くのかもね。