思ったことを書く、それだけ。

私がライブに行く理由

今年15回目のライブが終わった。

15回目のライブは[Alexandros]だった。とてもよかった。泣けた。

 

私はライブが好きだ。去年は15回。今年は今日で15回目。行きすぎじゃない?そんな声が聞こえそうだ。ライブってそんなに行けるの?行けるんです。

 

じゃあ、どうして私はそんなにたくさんライブに行くのか?

 

 

ライブには不思議な力があると思う。

 

ライブに行くと普段思い出さないようなちょっとした思い出を思い出す。雪が降っている日の帰り電車の窓の外の風景、友達と笑いあった日々、教室から見た空、、、普段忙しい日々に追われて忘れていたちょっとした思い出。

 

その時そう言えばこの曲を聞いていたな。楽しかったな。

 

この曲のおかげで乗り越えられたよ。

 

思い出とともに懐かしい気持ちや、その時から今までの私を振り返る。

 

そして、その思い出の歌を歌っている人が私の目の前にいる。私の日々、私を作り上げてくれている歌を歌っている人、、私を作ってくれた人、その人はこんな顔で、こんな表情でこの歌詞を歌うか。私の目の前にいて、私が懸命に手を伸ばすあの人はいつも私を支えてくれている人なのか。

 

その人を見てそれを思った時、ああ、ライブにいるのだ。「生」なのだと実感する。

 

そして、それは私だけじゃない。今ここでステージを見つめている全員がアーティストに対して何かを感じたり、何かしらの思い出があると思う。泣きたいような思い出、辛い思い出、笑いあった思い出、、、その歌に思い出がなくとも、今日、このライブで聞いて感じたことが思い出となる。100人いれば100人それぞれ感じることも思い出も違う。

 

でも、ここにいる全員は同じ場所で同じ曲を聴いている。

そんなことはライブでしか起こらない。

その感覚が好きなのだ。

 

そして、ライブは普段私を支えてくれているアーティストにお礼を言う場でもある。

もちろん、直接握手をしながらありがとうということはできない。だけど、目の前にはいつも支えてくれるあの人がいる。だから大きな声でありがとうって叫んで精一杯拍手をする。そうやってありがとうを伝える。

 

あなたの歌、あなたのおかげでここまで来れたよ。ありがとう。

 

伸ばした手や拍手にそんな気持ちを込める。

 

 

2回目以降のライブでは、前回行った時を思い出しながらその間にあった出来事を思い出すのも良い。

今日の[Alexandros]のライブは私にとって3回目の[Alexandros]だった。

前回は所属する楽団が決まらなくて大好きなトランペットを辞めるか迷ってた大学1年の春。今所属しているオーケストラに連絡する勇気は[Alexandros]から貰った。

 

泣けばいい 誰より笑えばいい

押し殺した その感情さらけ出して

どこまでも 私は私だから

貫いて誰に何を言われようとも

 

彷徨って 途方に暮れたって

また明日には 新しい方角へ

 

starrrrrrrを聞いて、トランペットを諦めないことを決めた。泣けばいい誰より笑えばいいって歌いながら本当に泣いた。どこまでも私は私だからトランペットを続けたい。そう思った。

[Alexandros]のライブの次の日、私は今のオーケストラを見つけて連絡をして新しい方角に突き進んだ。

洋平さんが歌ってた通りになった。新しい方角を目指してよかった。

今日はそのお礼を伝えた。

 

あなたのおかげで楽しい今があります。

 

そして、またstarrrrrrrを聞けた。このstarrrrrrrは私をどこへ導いてくれるのだろうか。

 

 

 

ライブに行くためにまた頑張ろう。

ライブは私の頑張る理由であり、頑張ったご褒美なのだ。

 

普段ライブに行かない人はぜひ好きなアーティストのライブにいって欲しい。

あなたを支えてくれている曲を生で聴いて、あなたを支えてくれている人達を目の前にして、手を伸ばしてほしい。

 

その時あなたは何を感じ、何を思い出すだろうか。

 

 

 

以上

 

 

私のとても大切な曲です。この曲があなたも導いてくれますように願いを込めて。

https://m.youtube.com/watch?v=LKjldI1qjj0

 

 

手のひらの宇宙

 

実現しないあなたとのデートプランを考えていたら一日が終わってた。

 

日曜日は竹下通りで、あなたはこのワンピース好きかなって、このヒールだと背を越しちゃうかなってあなたの好みを気にしてばかり。

 

だって、世界にひとつだけのその笑顔、私だけのものにしたいんだもん。

 

でも、たった二文字が言えなくて今日も私は見てるだけ。明日には違う誰かと手を繋いでるかもしれないってのに。

 

だって、あなたは私の好みを知っているから。なんであんなこと言っちゃったんだろ。

 

悪ふざけでもいいから一度私のこの手を握って?「友達だなんて思ったことはない」とか言ってみせてよ…

 

それでね、もしあなたから恋に落ちる音が聞こえたら、僕に彼女ができたんだって誰かに話したいって思ってほしいな。でも付き合ってることは内緒にしたいかも。

 

3回目のデートの待ち合わせに遅れてきたら、本当は見つけているけど嬉しそうに探してたみたいで情けないから用もない携帯いじって知らないふりするね。

 

遠距離になったらいつでも会いに行けるように免許を取るよ。

 

一緒に住んだら、夏はアイスを食べながらまだかなまだかなってあなたの帰りを待っているよ。

 

 

 

なんてことを考えた熱帯夜

 

「会いたい今すぐ」

そう言った私を

「わがままばかり」と

叱って今すぐ ここに来て

 

 

 

以上

 

 

明日はヒーローに会いにいきます。

雨が傘を叩く音を聞きながら。

 

 

 

 

 

ヒーロー

 

私には好きな歌がある。金曜日に絶対に聞く歌。SHISHAMO「明日も」。知っている人も多いだろう。今回は「明日も」とわたしの話。

 

私がこの歌に出会ったのは最後の大学受験が終わった日。帰り道の電車で、SHISHAMOの新曲がYouTubeに上がってることを知って何となく聞いた。

 

痛いけど走った 苦しいけど走った

報われるかなんて 分からないけど

 

この歌詞に泣いた。絶対受かると言われた滑り止めに落ちて、行くところは決まってなくて、でも受験は全部終わっちゃって、、、痛くても苦しくても走った報われるかなんて分からない浪人生活、この歌詞がすべてを物語ってくれた。

3月に行ったライブでもいろんなことを思い出して泣いたなぁ…

 

そして大学生になって、入学したての頃。「明日も」はつらくて走り抜けた浪人の歌から不安な新生活の歌に変わった。

 

月火水木金 働いた

まだわからないことだらけだから

不安が僕を占めてしまう

時々ダメになってしまう

 

バイトになかなか慣れなくて、不安がいっぱいだった時はこの歌詞で泣いた。

 

月火水木金 学校へ

友達の話題について行くのは本当は

私にとっては大変で

私が本当に好きなのは昨日のテレビじゃない

 

人見知りが激しくてまだ新しくできた友人となかなか上手く話せなくて、一週間学校に行くのがきつかった時はこの歌詞。月火水木金学校へという部分が今週も毎日学校へ行った自分を肯定してくれるようだった。

 

「明日も」が私を勇気付けてくれた。

 

そして現在。「明日も」は1週間の自分を認めてくれたり励ましてくれる曲になっている。

ここ数ヶ月、私は明日もは金曜日にしか聞かないようにしている。そうすると、毎週グッとくる歌詞が変わる。

 

 

仕事も 恋も 勉強も 

1つも手抜きはできないな

明日の自分のためだと思えば良い

泣くのは別に悪いことじゃない

 

ここは一週間めちゃくちゃ頑張った時。泣きたくても頑張って、いやになっても頑張った私を肯定してくれる。明日のために頑張ったね、お疲れ様と語りかけてくれる。そして泣かない!って決めた心を溶かして泣かせてくれる。

 

 

月火水木金 働いた

ダメでも毎日頑張るしかなくて

 

ここはなんとなくしんどくて学校に行くのも嫌だった週。毎日頑張ったねと語りかけてくれる。

 

 

良いことばかりじゃないからさ

痛くて泣きたい時もある

 

楽しいことが終わって辛いことがあった週。良いことばかりじゃないけど、頑張ろうと励ましてくれる。

 

 

毎回、必ずどこかの歌詞に共感したり、励まされたりする。

 

そして、この歌を聴くと必ず考えるのが、週末に会いに行く“ヒーロー”についてだ。

 

ヒーロー

これは解釈がみんなそれぞれバラバラだろう。

恋人の人もいるかもしれないし、友人の人も憧れの人だという人も自分だと思う人もいると思う。

 

私は、ヒーローは自分と好きなものだと思っている。

1週間色んな出来事を乗り越えて先週より少し強くなった自分か、週末にできる(or会える)好きなもの。

1週間色んな出来事を乗り越えて少し強くなった自分は、確実に前よりも早く立ち上がるし、走り方を教えてくれる。

好きなものは、それを楽しみに1週間頑張れるし、来週頑張れるチャージになる。

 

この2つのどちらかなんて言わない。両方ともヒーローである。

 

 

でも、これを書いている時に思ったのは、「明日も」こそ私のヒーローかもしれないということだ。

1週間頑張った自分を認めてくれて、明日も頑張ろうと思わせてくれる歌。この歌があるから頑張れた時は沢山ある。そう思うとこの歌こそ私のヒーローなのかもしれない。

 

あなたのヒーローはなんですか?

 

 

ヒーローに自分重ねて

明日も

 

 

 

以上

 

世界

 

この目で見ている世界が私の全てだ。

でもこれは世界の片隅で起きていることでしかない。

 

今日はとーっても楽しい時間を私は過ごして、世界は幸せに満ちているように見えるけど、どこかでは悲しいことがあって今日という世界が悲しみで溢れている人もいるかもしれない。

 

ライブもそれがすべてに見えるし、世界のみんながそのライブを見ているように思えるけど、実際はほんのひと握りの人だけしか見ていない。

 

すべて世界の片隅。

そう思うと自分はとてもちっぽけな存在だなと思う。

 

そんなちっぽけがたくさん集まって世界を作ってると思うと不思議だ。

 

 

出来ることならあなたの目で見える世界を私も見てみたいと思う。どんな世界が見えるのだろうか。

 

 

 

以上

 

 

ちゃんと書きたいけれど書くことも文章作るのも下手であんまり更新出来なくてごめんなさい。

物語「私」

人生は自分が主人公の物語である。

 

生まれてから今まで誰一人として同じ物語を持っている人はいない。同じ環境で育っても、同じ物を与えられたとしても1人1人感じ方も違えば、見え方も違う。

 

今これを読んでいるあなたがどこで読んでいるかはわからないが、あなたの目の前にいる人も、隣にいる人も、後ろにいる人もみんなそれぞれ物語を持っている。もちろん、あなたを育ててくれた人も、あなたが好きな人も。

 

私は人の物語を想像するのが好きだ。

例えば、電車にいる迷惑なおじさん。私にとっては迷惑でしかないが、この人にも愛する人がいたり、この人を愛している人がいるかもしれない。家庭があるかもしれない。どんな親に育てられて、どんな友人がいて、どんな恋愛をして、今はどんな物語の中にいるのだろう。この電車に乗ってどうやって物語を広げていくのだろうか。考えるだけで面白い。

 

そして、私はこれを読んでいるあなたの物語に「ブログの人」として登場出来ることを嬉しく思う。あなたの物語の1Pのたった1行にも満たないかもしれないし、すぐに忘れられてしまうかもしれないが、あなたの物語に登場できた。

 

 

人生が終わる時、私はどんな結末を描くのだろうか。ハッピーエンドだといいな。

 

 

 

あなたはどのような物語「私」を紡いできましたか?

 

以上

 

 

 

物語「私」の大学生編は登場人物が多すぎる。ということは沢山の人の物語「私」に登場しているのかも。

 

 

世界からもし

このブログやろうと思ったのはこれを書きたかったから。

 

私の昨日の授業。まだ消化しきれていない。話すことで消化できると聞いたから、書く。

 

月曜日の3限、私は「死生観とソーシャルワーク」という授業をうけている。死について考えさせられるなかなか心にくる授業だ。

今日の授業内容は、「死にゆく過程の疑似体験」。

好きな活動、大切なもの、大切な人、目標をそれぞれ3個、カードに書く

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そして、自分が白血病になったと仮定して、

①発病・告知段階

②闘病段階

③主体喪失段階

④恐怖・あきらめ段階

⑤末期段階

⑥臨終段階

の6つの段階でそれぞれ2枚ずつカードを選び、裏にさようならと書いて破り捨てる

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これが大体の内容。

 

さようならと書いて破り捨てる時はそのカードに書いたものや人との思い出が蘇ってくる。そして破り終わると本当に無くしてしまったかのように心に穴が空いた。

 

私は4枚のカードにトランペットのことを書いた。そして、さようならと書いて破り捨てた。

そのさようならと書いて破り捨てる時だ。私は「私」が否定されるような感覚がした。今までの思い出から希望まで、全てを失ったようだった。心に穴が空いたとかそういうレベルじゃない。自分自身が引き裂かれたような感覚だ。トランペットのカードがなくなった時、この後はどうでもいいと一瞬本気で思った。

私の半分以上はトランペットでできているのかもしれない。当たり前だよな、10年以上一緒にいるのだから。

 

そこで考えた。

 

『世界からもしトランペットが消えたなら』

 

世界からもしトランペットが消えても、大抵の人は困らないだろう。まあ、クラシックに華は無くなるかもしれないが。日常生活で困ることはない。

 

でも、私は困る。人生の半分以上の意味を失う。トランペットでたくさんの人と繋がり、トランペットを吹くことを楽しみにし、トランペットのことを毎日考え、悲しいことも嬉しいこともトランペットのことばかりな私は、世界からトランペットがなくなったら、何を頼りに人と繋がり、何を楽しみに生きるのだろう、何を毎日考えて、感情は何に支配されるのだろう。考えても思いつかない。

あたりまえだよな、だって世界から実際に消えることはないし。

 

でも、確実に言えるのは、トランペットがなくなったら私の世界から色は無くなる。多分、3色くらいになるんじゃないかな、そして決して混ざり合わない。3色がただあるだけ。

トランペットがあることで私は何色もの色と出会え、その色たちが混ざり合い汚い色も綺麗な色も見せてくれる。

トランペットってすごい。やめたくなる時はたくさんあるが絶対にやめられない。

 

世界からもしトランペットが消えたなら、

世界から色がなくなり

私は世界が嫌になるだろう

 

これが結論。

 

以上

 

 

ちなみに、死にゆく過程で最後まで残ったのは母と父であった。「私」を作ってくれた最初のものだ。はじめは嫌いだけど、はじめがなくちゃ何もできない。そして最後はそのはじめに行き着くのかもね。

 

 

 

 

はじまりのはじまり

はじめが嫌い。

 

こういうはじめでも、全体ラインとかに送るはじめの文章でも、初めていく場所でも、初めて会う人でも、初見吹きでも、初合奏でもなんでもはじめが嫌い。

緊張するし、どうすればいいかわからなくなる。

 

だいたいはじめは否定から入る。全てマイナスで見る。私の第一印象とかまじで最悪だと思う。知っていくうちに皆大好きになる。

 

私ははじめが肝心だとは思わない。その後いくらでも挽回できる。

 

これもはじめが嫌い。タイトルなんて思いつかない。こんな文章でいいのかもわからない。やっぱはじめは嫌い。

 

そんな私がはじめて自分でメールして、はじめてアポとって、知り合いのいない外大オケに来たんだからやっぱあの時の私はどうかしてたのかもね。

 

以上